ちょっと前になりますが、松井が引退を発表しましたね。
正直、今の野球に全く興味がなくて、ブログでもほとんど書くことないですが、たまにはこういう話題もとりあげときましょう。
彼の年齢は自分よりも少し下になるわけだけど、おそらく同年代では最強のスラッガーだったと思います。
一番印象に残っているのは、星稜高校3年のときに出場した夏の甲子園の明徳義塾戦。
あのとき起こったことはいまだに目に焼き付いています。
当時、自分は大学生で夏休みの帰省中だったため、実家に戻り、母親と一緒にテレビで観戦してました。
松井はすでにドラ1候補で、素人目にも高校生らしからぬ打球を放つのがわかる選手でした。
一緒に見ながら母親に「この松井っていう選手は絶対にすごいから見とってん」と話していたのを覚えています。
しかし、結果はご存知のとおり、5打席連続敬遠。
ランナーがいるときだけでなく、ツーアウトランナーなしの状況でも全く勝負されませんでした。
その作戦が結果的に功を奏したのか、試合は明徳が1点差で逃げ切り勝ち。
松井はその試合で一度もバットを振ることなく、最後の甲子園を終えました。
あのときはさすがに甲子園も騒然。
高校野球でブーイングがおきるなんて、あれ以前も以降も見たことないです。
一緒に見ていた母親も「高校野球であれはないよねぇ」と言ってました。
試合後はいろんなニュースはもちろん、新聞の社説でも取り上げられるほどの賛否両論が巻き起こりましった。
後年、明徳義塾の馬淵監督が「私は今でも間違った作戦だったとは思っていない。あの年の星稜は、高校球児の中に1人だけプロがいるようなものだった。あれ以前も、あれ以降も、松井くんほどの大打者と僕は出会っていません。甲子園で勝つための練習をやってきて、その甲子園で負けるための作戦を立てる監督なんておらんでしょ? 勝つためには松井くんを打たせてはいかんかった」と語ったことにも一理あるのもわかるし、「プロじゃないんだから正々堂々勝負すべきだった」というのももっともだと思います。
確かに別にルールに違反してるわけではないし、むしろランナーを背負ってプレーしなければならないリスクをとるわけだから、それを生かしきれなかった星稜のチーム力が明徳のチーム力に劣っていたともとれます。
ましてや甲子園の常連校ともなると、純粋なアマチュア精神だけでやってるところってどれだけあるのか??ですからね。
なにせドラフトにかかるような選手を3人育てると、監督は家が建つらしいですから。
この問題、人によって正解は違うと思うし、正しい答えなんてないと思いますが、個人的な意見としてはランナーのないときくらいは勝負すべきだったと思います。
馬淵監督が言うように当時の松井の迫力は群を抜いていたし、バットに当たればシングルヒットじゃすまない可能性は高いけど、あそこで逃げて得られるものはその試合の勝利だけで、あとは何も残らないですからね。
結果論になってしまうけど、実際その次の試合でメンタルがボロボロになった明徳は広島工業に大敗してるし。
この事件で株を上げたのはもちろん松井。
露骨な敬遠策にも表情に出さず、全球静かに見送って、試合後にも「正直いって野球らしくない。でも歩かすのも作戦。自分がどうこう言えない」というコメントにとどめたのは高校生とは思えない成熟ぶり。
中学のときからさんざん経験してることだったということもありますが、高校最後の晴れ舞台が幕を閉じたはずなのに、こんなコメントはプロでも言えないんじゃないでしょうか。
当時からバッティングはもちろん、打席での風格も含めて、馬淵監督じゃないけど、「高校生の中に一人プロがいるようなもん」だったし、自分も高校生であれほどのオーラを発している選手はいまだに見たことありません。
ほんとに「怪物」だったと思います。
プロ入り後も前評判にたがわぬ活躍で、メジャーにいってもワールドシリーズ制覇に貢献。
自分と同世代がヤンキースで4番を打つなんてそれこそ80年代、90年代には思いもつかない夢を見させてくれました。
他の多くの人にとっても、松井という存在を通じて「真の怪物」がどういう過程で出てきて、育ち、活躍するようになるかをリアルタイムで追ってみることができる貴重な体験だったんじゃないでしょうか。
ケガがなければまだやれそうな気はしますが、スポーツ選手にとって引退はいつか決断しなければいけないこと。
本人が決めたのならしょうがないし、ベストじゃない状態でごまかしながらプレーするよりはいさぎよくて松井らしかったと思います。
彼の場合はお金じゃないから、日本に戻って残りのプロ人生の余生をすごすようなのも似合わないし。
今後はおそらく解説とかしながら、将来的には監督とかになるんだろうけど、頭もいいし、何か他のことを勉強しだしそうな気もします。
彼を超えるような日本人スラッガーがいつか見られる日はくるのかなぁ?